3月17日 稽古日誌

20XX年 3月8日
風力3、雲量2 晴れ 波なめらか

本日も船影なし。ただ、波に身を任せながら
海上を漂うのみが、我に可能なこととなった。
このように航海日誌を綴ることも、いずれは不可能となるであろうことは想像に難くない。思えば2ヶ月前、たらい舟というものの存在を知ったのがそもそものきっかけであった。たらいという生活に根付いた品物が、かくも実用的役割を果たすものかと、我は感動の心持ちであった。
そこで、たらいで太平洋を横断するべく、東京湾を出たのが我の運の尽きであったと言うべきであろう。
高潮に襲われ、唯一の推進方法であったしゃもじを海のどこかへ落としてからは、行先は波任せとなった。
すでにどこを漂っているかすら不明であり、見渡す限りの海原が広がるのみである。
魚を釣るための釣竿はすでに失われ、魚を捌くために持ち込んだナイフはあれど、何も切るものは見当たらない。
島の影を見かけたり、船の影を見かけたこともある。必死で近づいたが、それは蜃気楼であった。今後は、無駄な体力を消費しないためにも、愚かな見誤りは避けていくべきだ。生きるために。

20XX年 3月14日
風力6 雲量2 晴れ 波高し

夜半からの時化によって、波が高くなり
風も勢いを増している。
我を乗せたたらいも、それに合わせ非常に激しく揺れている。
たらいに溜まる雨水は、文字通り命を繋ぐ水である。全ての食料を失った我には、この雨水以外に口にできるものはないのである。
しかし、その雨水をたらいに溜めてしまえば沈没は不可避であり、雨水を入れる入れ物も我には残されていない。
残してきた家族や友を思い出し、ひたすらの後悔のみを胸に、たらいは太平洋をさすらうのみである。

20XX年 3月17日
風力3 雲量2 晴れ 波なめらか

日は相変わらず高く上がり、見渡せども船影はおろか、島の影すらも我の目には入らない。
如何ともしがたい飢えと渇きの中で、我は最後の手段をとることを決意した。
着ていたシャツを破き、太ももの付け根を縛る。万が一に備え、風の弱まるのを待つ。
命と引き換えに足を失うことにはなるが、ここでこのまま死ぬよりは幾分か良いであろう。
切るべき箇所に狙いを定め、ナイフをかざす。渇ききった体から、最後の汗が滴り落ちる。
心臓の鼓動がやけに早い。波の音がいつもよりうるさく聞こえるようだ。
失敗すれば命はない。我は、最後の力を振り絞って、足にナイフを突き立てようとした。

その時であった。楽しかった日々の思い出がふいに思い出された。
思えば、2019年の3月17日は稽古であった。
あの時の稽古では、組体操を行なった。
さらに、他の団員の自己紹介を見て、口調や癖を真似るという訓練も行なった。
演じるということの基本を学べた、良い訓練だった。

たらいの中で何時間経過していただろう。気づいた時には、もう夕暮れだった。
我は、命があることに気がつき、自らの体を食べるなどという外道に堕ちようとしていたことに戦慄した。
我のような愚かな人間がこのまま朽ちていくとて、それは因果応報である。たらいで太平洋を横断しようとした結果が我であると後世に伝えられていくことで、我の生きた意味もあるだろう。我は、今そう思う。

その時だった。

遠くの方に、かすかに、だがはっきりと見えた。島の影だ。
私は狂喜した。これで命は助かる。

これは航海日誌ではない。稽古日誌だ。
未来へと続く、生へのマイルストーンだ。

さあ、既に壊れかけたたらいは捨てていこう。
泳ぐ体力が、我の体に湧いてくる。生への渇望こそ、原動力足り得る最大の欲求である。

I can flyだ。我、いざ大海原に飛び込まん。

我の足は、飛ぶためにある。




(日誌はここで途切れている)

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